はじめての妊娠(3)
(前回まで)
長い夜を終えて
お医者さんに電話をしたあとはまたベッドでごろごろ。そういえば、妊娠した当初から歩くたびに痛かった鼠径部の痛みはいつのまにか無くなっていました。
出血や腹痛は続いていたので外出は憚られましたが、痛み自体はだいぶ楽になっていたので昼すぎにはベッドを出てソファーで横になりました。
夫がごはんを作ってくれたり、買い物のついでに花を買って部屋に飾ってくれました。
また、40cmのナプキンも3パックほど買ってきてもらいました。ナプキン買ったのなんて初めてだったんじゃないかしら。ありがとう夫。
そして「これが赤ちゃんの袋かも」と、最初に出てきたものを病院で検査に出すためにナプキンに包み、上からさらに古いハンカチにくるんでジップロックに入れておきました。
トイレの棚に仕舞っておくのもなんだかしのびなくて、一晩だけは一緒に過ごそうと思い、寝る前にベッド脇のサイドテーブルに置きました。
あまりこういうときに感傷的になりすぎるのはどうかと思いましたが、買っておいた絵本を夫に読んでもらうことにしました。
わたしたちの世界はこんなかんじだよ。興味があったらまた来てね。なんて。
……意外と難しいな、この絵本。夫婦で眠くなって恐竜絶滅あたりで終了しました。
世界も生命も複雑だ。そりゃいろいろあるわけだわ。
ほぼ完全流産
翌日。
夫は会社だったので、ひとりで病院に行って、エコーでお腹のなかのものが排出されていることを確認。
まだ内膜が厚いので出血や痛みが続くとつらいよ、麻酔なしで今から器具を突っ込んで全部掻き出そうか? というお医者さんからの恐ろしい提案には首を横に振りました。
はじめてのおめでたの思い出を、これ以上血塗らないでくれー!!
ということで翌週にもし全部出切ってなければ麻酔ありでの処置をしてもらうことに。
そしてお医者さんにジップロックを渡しました。
するとお医者さんは中身を見て
「ん? これ違うやつだねぇ」とゴミ箱にポイー。
違うんかいーー!!!
大事な大事なものを間違えてしまった……。
お医者さんもせめて捨てるならわたしの見ていないところで捨てておくれよ……。
おかげで組織検査もできなかったし自分にだいぶ凹みましたが、それもまた人生と思うようにしました。気持ちが大事。
これに懲りずに、また来てくれYO! 赤ちゃん!
それと出血が多いうちは1週間ほど安静にして家事も最低限にするようにということと、しばらく基礎体温をつけるように言われました。
「高温が続くようだと、子宮に何か残っているかもしれないから」らしい。
家に帰っておにぎりを5つばかりガツガツ食べました。
ごはんさえ食べておけば、死ぬことはあるまい。
体の回復
その後は生理2日目の2倍くらいの出血とズンドコ腹痛が1週間続いて、内容物の排出も1週間めにピタリと止まり(だいぶ大きな物だったので40cmのナプキンを買ってよかったです)、基礎体温グラフを持っていった翌週の診察では「きれいに全部出ている」とのことで処置なしでオッケー。基礎体温は流産から9日後にガクーンと下がっていました。
実は処置が怖くて出来るだけ自力で出し切ろうと思い、出血しているあいだは毎度「どんとこい!」といきんでいました。
うまく出せてよかったよかった……。
流産直前に検査したHCGは185という結果でした。本来なら3,000~19,000くらいある週らしいので、今回はやっぱり残念でした。
1回めのおめでたはこれでおしまい。
流産した日の朝まで続いた腹痛のせいでだいぶ体力は削がれてしまい、少し動くと息が上がるようなだるさは1週間ほど続きましたが、ゴロゴロ過ごせたことと夫の看病のおかげで順調に体力は回復し、翌週は前々からチケットを取っていた観劇に行けるくらい元気になることができました(さすがに観たらすぐ帰ってきたけど)。
唯一あとをひいたのは40cmナプキンでお尻がかぶれたことくらいだろうか……。
そして流産初日から15日目の診察で卵胞が作られているのも確認されて、その2週間後くらいに普段の調子の月のものが来て、体が元通りになったのを感じました。
夫はわたしがヒーヒー言っているときは青ざめて心配していましたが、あとは「よく頑張ったね、まずは体をいたわって。一番大事なのはあなただから」と落ち着いた様子でした。夫だってショックだったかもしれないのに。
「つまちゃん頑張ったから、欲しいものひとつ買ってあげるよ」と言ってくれたので、抜かりなく3つくらい買い物しました。
▼つづく。
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